【書評】迷路の外には何がある?
こんにちは。ごーいわです。
前回の本ブログで世界的超ベストセラー「チーズはどこへ消えた?」について書いたのだが今回はその続編について個人的な評価・感想を述べていきたいと思いまする。
ということで今回紹介する本は
「迷路の外には何がある?」である。
前作に引き続き内容は極めてライトで、ページ数も少なく、前作同様1時間足らずで読み終えられる1冊となっている。
構成も全くもって前作と同様。
寓話部分と、寓話について大人達がディスカッションするパートに分かれている。
今作は前作で登場した2人の小人と2匹のネズミの中で唯一立ち上がることができなかった、変化を受け入れることができなかった、小人ヘムの物語である。
ヘムは変化を受け入れられないどころか、その変化に対して憤りすら感じていた。
毎日、チーズのなくなったステーションで悶々としていたがしかし空腹には抗うことが出来ずついに新しいチーズを求め動き出すことになった。
久しぶりに歩く迷路の中でヘムはホープという新しい小人に出会う。彼女は前向きで行動的な性格で、ヘムを引っ張っていく。
ホープはチーズを食べたことがなくリンゴを食べていた、ヘムはリンゴを食べたことがない。
ホープにもらって食べる初めてのリンゴはとても美味しく、チーズだけを食べ追い求めていたことそのものが固定観念に縛られていたのではないかと考え始める。
ホープと共に迷惑を進む度に、思い込みによって自分の行動、果ては未来までが制限されていたということに気付いていく。
新しいものを受け入れポジティブに行動的になったヘムはホープと共についに迷路を攻略する…
あらすじはざっくりこんな感じである。
物語の枠組みは前作と同様である。
かつてのホーのようにヘムもまた迷路の壁のいたるところに「教訓」を刻んでいく。
前作と異なる点は核となるメッセージが違うということ。
前作チーズはどこへ消えた、では「変化」について焦点が当てられた。
変化は必ず来るものなに、人は現状が良いと慢心し変化を予期できず変化を恐れる。
常に注意を払い変化を予測し対応しろ、そして変化を楽しむことができれば人生は豊かだ!
というようなことを訴えていた。
今作迷路の外には何がある、では「信念」に焦点が当てられている。
古い信念に縛られるな、信念にはいい信念と悪い信念がある、新しい信念を持たなければ道は開けない、というわけだ。
食べ物はチーズだけだと思っていたヘムは初めてリンゴを食べて感動を覚えたわけだが、これは本作のメッセージでいう古い信念に縛られていたが古い信念を捨てることで新しい道が開けたということである。
本作を可能な限り短く要約するのであれば、
「固定観念を捨てろ、目の前の新しい出来事を受け入れろ、そうすることで世界は広がっていく」
といった感じでいいだろうか。
私の率直な感想は前作と同じである。
何を今さら…
前作と全く同じ構成で出来た作品なのだから読み手が前作と同じ感想を抱くというのは当然の帰結と言えるのかもしれない。
しかし、内容はともかくとして私は本作に対して前作にはなかった圧倒的嫌悪感を抱いた。
それは「信念」という言葉の使い方に対して抱いた嫌悪感に他ならない。
古い信念は捨てろ、という作中での画期的な教訓の元、破竹の勢いでヘムの古い信念は捨てられていく。
信念とはそんな安いものだっただろうか…?
私は信念という言葉が大好きである。
それはそれは好きであり、いずれ信念と結婚しようと考えているくらいだ。
2年くらい前に公開されたハクソーリッジという自分の生命が懸かった状況でも決して信念を曲げない医療兵の映画でむせび泣いた。
私は信念という言葉を「価値観」や「考え方」などで置き換えられない唯一無二の観念であると考える。作中で使われる信念とは「価値観」や「考え方」で置き換えられるものが多分に含まれている。
アイデンティティー、すなわち自己同一性の1つの形が信念だ。その定義においては新年を捨てることは自己の崩壊や自己否定を意味するであろう。
信念とは自分そのものである、それが私の中での信念の定義だ。
とまぁ本作の伝えたいメッセージとは少し異なるところで嫌悪感と不快感を抱いてしまった私は本作を批判することしかできない偏屈者だ。
どことなく私がヘムに共感できるのはつまりそういうことなのだろうか。
私が真に本作を理解するためには信念という言葉の定義に関して、私が持つ「古い信念」を捨てなければいけないのかもしれない…。
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※次回更新は8/30(金)更新予定※